「年寄」とは、組織の指導的な立場の人を指し、相撲の世界では、今でも活きている。
そのため、この言葉には、肯定的な意味合いを感じるが、「老」の文字には、「老人」「老後」など、なぜか否定的なニュアンスが漂う。
しかし「老」には長老とか御老公など高齢者に敬意を表す、あるいは熟練したとの意もあり、かっては大老とか老中あるいは家老など武家政治の重要な執政官を指し、明治期には、元老院などの言葉もあった。そして老中は若年寄よりも上位にあったように「老」は「年寄」よりも重視されていたのである。
また、「老」には「経験豊富な」とか「大いなる智恵者」の意もあり、例え生物学的に体力や気力が衰えても、積み重ねた経験知は、豊富で尊敬に値するものがある。
しかし現代社会は「老人=厄介者」とその生物学的老いのみに注目し、多様な経験知を認識し評価してこなかった。社会は、その経験知をもっと尊重し活用すべきである。今後、高齢者が自らの活力を高め、その活力を社会でもっと役立てる時代が来るであろう。
そしてボランティア活動などは、正にこの活力や経験知を具現化したものであり、その活動は時代の要請に応えたものと言える。
筆者は、老世代をその経験知から次のように分類している。
若年寄(60歳代)、老中(70歳代)、老後(80歳代)、大老(90歳代)、百千老(ももちろう)(100歳代)と。
(野寄史郎)